イタリア靴を産地で選ぶのは、もう無理がある。フィレンツェとミラノの4ブランド

以前このサイトで、イタリアの靴の産地はフィレンツェでもミラノでもなく、マルケ州だという話を書きました。アドリア海側の、地図で言えばふくらはぎのあたり。サントーニもドゥカルスも、そこの工場から出てきます。

では、フィレンツェとミラノには何が残っているのか。名前だけになってしまったのか。

調べていくと、そういう話ではありませんでした。ただ、産地という言葉で全部を説明するのは、もう無理があります

目次

先に、産地では語れなくなった理由を

この記事の4つめに出てくるブランドの話を、先にしてしまいます。ヴェラスカという、2013年にミラノで生まれたブランドです。

ミラノのブランドです。ところが靴を作っているのはミラノではありません。マルケ州のモンテグラナーロ。まさに、あの産地です。創業した二人はイタリア中を回って作り手を探し、最後にそこへ行き着きました。

つまり「ミラノのブランド」と「マルケの靴」は、同じ一足の上で両立します。都市の名前はブランドの住所であって、靴の出身地ではない。この記事に出てくる4つも、フィレンツェとミラノにあるのは住所のほうです。

ではどう見ればいいのか。靴を一足世に出すには、大きく3つの仕事が要ります。形を決める。実際に作る。そして売る。この3つを、誰がどこまで自分で持っているか。イタリアの作り手は、いまここで分かれています。

この記事の4つは、その順番に並べました。3つとも一人で抱えている端から、一つも自分で作らない端まで。同じ「イタリアの革靴」でも、中身がまったく違うことが見えると思います。

3つとも一人の手の中にある端。日本から行って、向こうで店を構えた人:イル・ミーチョ

フィレンツェに、日本人の靴職人がいます。深谷秀隆さん。1974年、愛知県の生まれです。

名古屋の学校で靴に出会い、東京でデザイナーを務めたあと、1998年に単身イタリアへ渡りました。師事したのはシエナの職人です。翌1999年に自分の工房を立ち上げ、2005年、日本人としては初めて、イタリアでビスポークシューズのメゾンを構えました

「イル・ミーチョ」は、イタリア語でを指すくだけた言い方です。猫のように誰にも媚びず、自由に自分の靴を作りたい。その名前をつけた人が、本場でそれをやってしまった、という話です。

この記事の並びで、ここがいちばん端にあたります。形を決めるのも、作るのも、売るのも、まだ一人の手の中にある。木型をどうするかも、革をどう選ぶかも、誰に渡すかも、全部そこで決まります。

そのぶん、買い方は特殊です。基本はフィレンツェへ行って注文するもの。ただし年に2回、帰国に合わせて東京でオーダー会が開かれてきました。そしてトゥモローランドとの別注ラインがあり、こちらはビスポークではない形で日本の店頭に並んでいます。どちらも常時あるものではないので、買いたい人は公式の告知を追うことになります。

イタリア靴の話をするとき、日本人はどうしても客の側に立ちます。この人は向こう側に回りました。一度は名前を覚えておく価値があると思います。

一人で始めて、組織が継いだ。独学の工房:ステファノ・ベーメル

同じフィレンツェ。アルノ川の南側、オルトラルノと呼ばれる職人の地区にこの工房はあります。アトリエは、もともと礼拝堂だった建物です。

始まりは1983年。ステファノ・ベーメルという人が、完璧なイタリアの靴を作るという一点の望みを持って始めました。入り口が面白い。公式の説明によれば、彼は独学でした。まず靴の修理から入り、それから講習や工房で学び、最後に自分の技術にたどり着いた。師匠の系譜から入った人ではありません。

この工房には有名な話があります。俳優のダニエル・デイ=ルイスが、ここで靴作りを教わっていた。公式サイトは「10か月」と書いています。役作りのためだと報じられましたが、靴職人の役が決まっていたわけではなかったとされています。ひとつのことに毎日同じだけの集中を注ぐ場所として、彼はここを選んだ。完璧主義者が、完璧主義者の手元を見に来ていた、という話です。

ベーメル本人は2012年に、48歳で亡くなったと伝えられています。それでもブランドが消えなかったのは、引き継いだ先が変わっていたからです。

フィレンツェに「スクオーラ・デル・クオイオ」という革の学校があります。公式サイトに、その始まりが書かれています。1950年、マルチェッロ・ゴーリという人が義兄弟のシルヴァーノ・カジーニとともに、サンタクローチェ聖堂の、フランシスコ会修道士の修練院だった場所で、戦争孤児に革の技術を教えるという役目を引き受けた。そこが出発点の学校です。

その一族のトンマーゾ・メラーニ氏が、ベーメルの名前を預かりました。孤児に技術を渡すために生まれた場所が、独学の職人の名前を継いだ。フィレンツェという街の性格が、よく出た巡り合わせだと思います。

ただ、正直に書いておかなければならないことがあります。そのメラーニ氏も、2026年5月に亡くなりました。予定されていた店頭の営業とトランクショーは、追って知らせがあるまで中止になったと報じられています。公式サイトのトランクショーの一覧は、いまも2024年のまま止まっています。

オンラインストアは動いていて、既製の靴は買えます。日本向けの発送区分もあります。ただし海外からの取り寄せになるので、関税と、返品するときの送料は自分持ちになります。

そしてこれが、この端にいることの代償です。一人の名前に寄せた作り方は、その一人が欠けたときに止まります。名前を継ぐ人がいても、同じことがまた起きる。次の章からは、そこを分けていった側の話になります。

工場を持ち、名前を隠さずに形を外へ:フラテッリ・ロセッティ

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ここからミラノです。正確には、ミラノ郊外のパラビアーゴという町。

公式の沿革は、出だしが少し変わっています。1940年代、レンツォ・ロセッティと兄弟たちは、ほとんど偶然に、スポーツシューズを作りはじめた。しかもその最初の靴を履いていたのは、イタリアのフィギュアスケートとホッケーの選手たちでした。紳士靴の会社の出発点が、氷の上だったわけです。

革靴へ移ったのが1950年代。スポーツ靴で使っていた柔らかい作り方をそのまま持ち込み、手縫いだった工程をグッドイヤーの機械に移しました。そして1958年、パラビアーゴのヴィア・ガヨに最初の工場を持ちます。ここが前の2つとの決定的な違いです。工房ではなく、工場。一人ではなく、規模で作る側に回りました。

1960年代は素材と色の実験期です。油絵の脈を思わせる「アンティーク」の仕上げ、ブラッシュ加工。オーストリッチ、パイソン、そしてそれまで手袋にしか使われていなかったペッカリー。1968年に二つめの工場を開け、翌1969年にはレンツォがニューヨークへ飛びます。

そして1970年代。ここにこの会社のいちばん面白い判断があります。公式の沿革にこうあります。自分たちの名前を大きなブランドの陰に隠すことを拒みながら、ファッションの歴史に名を刻む顔ぶれと並んで仕事をした

その顔ぶれが、ヴァレンティノ、ピエール・カルダン、イヴ・サンローラン、ミラ・ショーン、グッチ、フェラガモ、カール・ラガーフェルド。そして若き日のジョルジオ・アルマーニが、当時生まれたレジャーライン「ヨット」のモデル群をデザインしました

下請けとして名前を消すこともできたはずです。そうしなかった。作る力は自分で持ち、形は外の目に開き、それでも自分の名前で出す。3つの仕事のうち、真ん中の「作る」を手放さなかったことが、この会社の性格になっています。

1971年に初の婦人靴、1977年に若い層向けのペニーローファーのライン「グリーン」。1980年代には社名を「ロセッティ」から「フラテッリ・ロセッティ」に変えました。フラテッリは兄弟という意味です。公式にはこんな逸話が載っています。改名を迷っていたとき、まだ子どもだったルカが父にこう言った。「僕たち子どもだって、兄弟だよ」。その三人が、2000年代にディエゴ、ダリオ、ルカとして会社を継ぎました。

定番の名前を見ると、この会社の立ち位置がよく分かります。「ブレラ」も「マジェンタ」も、ミラノの地区の名前です。作っているのは郊外の工場でも、顔つきはミラノを向いている。この4つのなかでは、いちばん手に入りやすいブランドでもあります。公式のオンラインストアは日本円の表示に対応しています。

一足も自分で作らない端。作らないと決めた側:ヴェラスカ

最初に触れたブランドに戻ります。2013年の5月、ミラノで、エンリコ・カザーティとヤコポ・セバスティオという二人の友人が始めました。

きっかけは身も蓋もない話です。ちゃんと作られた靴を、納得できる値段で買おうとしたら、見つからなかった。それで自分たちで始めた。

やり方は、前の3つとまったく違います。工房も工場も持ちません。イタリア中を回って作り手を探し、マルケ州のモンテグラナーロにたどり着いて、そこの職人たちに作ってもらう。そして小売の店を通さず、自分たちのサイトから直接売る。間に入る人を減らしたぶんを、値段のほうに戻すという考え方です。

ここまで来ると、この構図の意味がはっきりすると思います。ヴェラスカが持っているのは、形を決めることと、売り方だけ。真ん中の「作る」を、まるごとマルケに預けています。ロセッティが手放さなかったところです。

いい悪いの話ではありません。作らないと決めたから、値段の付け方を変えられた。そういう選択です。そして程度の差はあれ、マルケの工場を使う多くのブランドが同じことをしています。

買うときに、ひとつ注意があります。同じような名前を掲げた別物の靴が出回っているので、探すときは「ミラノのヴェラスカ」かどうかを確かめてください。日本にも正規に扱うショップがあるので、サイズを試せるならそちらが早い。公式サイトから直接買うこともできますが、その場合は関税と返品の送料が自分持ちになります。

まとめ:どこで作られたかより、どこまで自分でやっているか

4つを並べ直します。

イル・ミーチョは、形も製作も販売も一人の手の中。ステファノ・ベーメルは、一人で始めたものを組織が継いで、手仕事のまま続けている。フラテッリ・ロセッティは、自分の工場を持ちながら、形を外の作り手に開き、それでも自分の名前で出した。ヴェラスカは、作ることを手放して、形と売り方だけを持った。

この並びは、待ち時間の長さの順ではありません。正規の店で買えば、ロセッティもヴェラスカも同じ日に履けます。この並びが教えてくれるのは、その一足が止まるとしたら、どこで止まるかです。一人に寄せた側は、その一人が欠けたら止まる。ベーメルのいまが、まさにそれを見せています。分けた側は止まりにくいかわりに、誰が作ったのかが遠くなります。

まず1足だけと言われたら、フラテッリ・ロセッティです。日本から普通に買えて、自分の工場を持っている作り手の靴で、しかも歴史が本当に面白い。氷の上から始まって、大物デザイナーと組んでも自分の名前を消さなかった会社です。

人と被りたくないなら、答えは逆側にあります。イル・ミーチョとベーメルは、街で同じ靴に出会うことがまずありません。そのかわり、手に入れるまでに時間と手間がかかります。どちらを取るかという話です。

最後にひとつ。マルケ州の話を書いたとき、産地には産地の理由があると書きました。それを取り消すつもりはありません。ただ、産地は「どこで作られたか」しか教えてくれない。誰が形を決めて、誰が売っているかは、別に調べないと出てきません。

箱の裏の「MADE IN ITALY」は、3つのうちの一つしか語っていません。次の一足を選ぶときは、残りの二つも探してみてください。

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この記事を書いた人

日常の靴選びから仕事に合わせた靴選びなど、さまざまな靴に関する情報をお届けしています。あなたの足元を彩る一足を見つけるお手伝いができれば幸いです。お気に入りの靴を見つけて、毎日の生活を足元から豊かにしてください。

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