モカシンと聞いて思い浮かぶのは、たぶん柔らかい革のスリッポンだと思います。フリンジがついていて、部屋履きにも使えそうなあれです。
ところがこの言葉、本当は靴の種類ではありません。作り方の名前です。それが分かると、デッキシューズもローファーも同じ家系の靴だったことが見えてきます。持っている靴を一足手に取って、つま先を見てみてください。話はそこから始まります。
先に、モカシンという言葉が指しているもの
出どころは北米の先住民の言葉です。アルゴンキン語族のひとつ、ポウハタン語の「makasin」から来ていて、もとは鹿などの一枚の革で足を包んだ履物を指していました。
構造がふつうの靴と決定的に違います。ふつうの革靴は、足を包む上の部分と地面に触れる底が別々の部品で、あとから縫うか接着して合わせる。モカシンは逆です。一枚の革が底から立ち上がって側面までを包み、そのうえに甲のU字型の革をかぶせて縫い合わせる。この縫い方をモカシン縫いと呼びます。
つまり足の下に縫い目がない。革の一枚板の上に足が乗っている状態です。柔らかくて足に沿うのは、この構造から来ています。原型は硬い靴底を別に持たない柔らかいものが主流で、ヨーロッパに渡ってから底が付きました。
だから「モカシンを買う」と言うとき、本当は形ではなく作りの話をしていることになります。手元の靴のつま先にU字の縫い目が走っていたら、それはモカシンの一族。ローファーもデッキシューズも、たいていここに入ります。今回はその系譜を4つのブランドでたどります。
原型に近い柔らかさが欲しい人へ。土産物屋から始まった:ミネトンカ
ミネトンカは1946年、ミネソタ州のミネアポリスで始まりました。最初に作っていたのは、街道沿いの土産物店に置く手作りの小物と履物です。そのなかでモカシンが主力になっていきました。
創業まもなく加わったのがフィリップ・W・ミラーです。少年のころにポーランドから渡米し、ミネアポリスで角の食料品店を営んでいた人で、1986年に亡くなるまでこの会社にいました。
ここは正確に書いておきます。この会社の製品は先住民の伝統的なデザインに影響を受けたものであって、先住民が作ってきたものではありません。そして会社自身が2020年に、ネイティブアメリカンの文化とデザインを流用してきた歴史を認めて謝罪しています。自分たちで「遅きに失した」と書いていること、2025年から和解のための取り組みを始めていることも含めて、載せるべき事実だと思います。
靴として見ると、この4つでいちばん原型に近い柔らかさです。底が薄く、足の裏に地面の形が伝わる。長距離を歩く靴ではありません。室内、近所、車の運転。そういう場面で本領が出ます。フリンジのついた型が定番ですが、装飾のない素直な形も揃っています。
サイズだけ注意してください。この4つのなかでいちばん革が柔らかく、いちばん伸びます。店で履いて「ちょうどいい」と感じたものは、ひと月後にはゆるくなっていることが多い。少しきついかな、くらいで選ぶのが正解です。
濡れた床で滑りたくない人へ。犬の肉球を写した溝:Sperry
1935年、ポール・スペリー。ダートマスに学び、海軍で水兵を務めた人物です。困っていたのは、濡れた甲板で滑ることでした。
答えは飼い犬が持っていました。氷の上を平気で走り回る犬の肉球を観察すると、細かい溝が無数に走っている。そこでペンナイフを取り、ゴムのソールに同じような溝を手で刻みました。ゴムに細かい切れ込みを入れるこの手法をサイピングと呼びます。こうして世界で最初のデッキシューズが生まれました。
ただし、その一足はまだ革ではありませんでした。キャンバスのアッパーに、ヘリンボーンの溝を刻んだ白いソール。この時点では「溝」だけが発明されていて、いま思い浮かべる革のボートシューズではないのです。
モカシン構造の革になるのはそのあと。コモンウェルス・シュー・アンド・レザーという会社と組み、特別になめした撥水性の革を使った型ができて、ようやくおなじみの形になりました。犬の肉球から来た溝と、先住民から来た縫い方。出どころの違う2つが、あとから1足のなかで合流したわけです。1939年には、アメリカ海軍が海軍兵学校の水兵向けにこの靴を作る権利を交渉しています。
いま買う理由も、その溝にあります。雨に濡れたタイル、水を撒いたあとのベランダ。得意分野は海だけではありません。定番は「オーセンティック オリジナル」、頭文字でA/Oと呼ばれる型です。素足で履く前提の設計なので、靴下を合わせるならワンサイズ小さめを検討する余地があります。夏の靴だと思われがちですが、靴下を履けば秋口まで使えます。
毎日履ける普段靴が欲しい人へ。L.L.Beanの数ブロック先で:Eastland
アウトドア用品の巨人、L.L.Bean。その本店があるのはメイン州のフリーポートという小さな町です。そこから数ブロック歩いたところに、かつてもうひとつの靴工場がありました。
Eastland(イーストランド)です。1955年の創業。メイン州には手縫いのモカシン様式の履物を作る伝統が古くからあり、この会社はその真ん中で始まりました。アメリカのモカシンの話をすると必ずメイン州が出てくるのは、こういう集積があるからです。
この4つでの位置づけは、いちばん普通の靴です。ミネトンカほど柔らかくなく、Yuketenほど手がかかっていない。そのぶん毎日履けます。アメリカの学生が履いていたような少し武骨な顔つきで、デニムにもチノにも合う。モカシン縫いのU字がはっきり見えるので、ここまで書いた構造の話をそのまま足元で見せられます。
定番は2つ。紐のないスリッポンが「ヤーマス」、4つ穴の紐付きが「ファルマス」です。どちらもキャンプモックと呼ばれる系統で、名前はメイン州の町から取られています。脱ぎ履きを優先するならヤーマス、足を締めて歩きたいならファルマス。最初の一足として選ぶなら、ここがいちばん失敗しません。
手仕事の極みを一足だけ持ちたい人へ。1足に100時間:Yuketen
1足を作るのに96時間から120時間かかる、という数字から入ります。職人が手を動かす時間の合計で、時給の話に置き換えると、なぜこの価格帯なのかがすぐ分かります。
Yuketen(ユケテン)は1989年、ユキ・マツダが立ち上げたブランドです。日本人がアメリカで興し、アメリカの伝統的な履物を作っている。メイン州に自社のモカシン工場を構えていて、革の職人が全工程を手作業でこなします。
名前の由来が、このブランドの立ち位置をよく表しています。Yuketenは、ユキと、ケヴィンと、キルステンの名前を合わせた言葉です。ケヴィンとキルステンは、同じメイン州でクオディという手縫い靴のブランドをやっている2人。自分の名前だけを掲げずに、支えてくれた人の名前を混ぜて屋号にした、ということです。
ここまで手をかける理由は、モカシンという構造そのものにあります。底から立ち上がった一枚革と甲の革を縫い合わせる作業は機械でやりにくい。革を引きながら形を作る工程が多く、手の感覚が仕上がりを決めます。手縫いのモカシンが高いのは、贅沢だからではなく、そういう作りだからです。ミネトンカで構造の柔らかさを知り、Eastlandで毎日履き、そのうえでもう一段を求めるならここ。日本での流通量を考えると、人と被らないという点でもかなり静かな選択になります。
まとめ:つま先のU字を見れば、系譜が分かる
選び方の目安はこうです。原型に近い柔らかさならミネトンカ。濡れた床で滑りたくないならSperry。毎日履ける普段靴ならEastland。手縫いの一足ならYuketen。
最初の一足には、Eastlandをおすすめします。モカシンという構造の利点は柔らかさですが、柔らかすぎると歩ける距離が短くなる。その中間にいて、価格も現実的で、しかもU字の縫い目がはっきり出ているのがここです。構造を体で覚えるための一足として、いちばん扱いやすいと思います。
買うときに気をつけることを3つ。まずサイズです。モカシンは革が柔らかいぶん、履いているうちに横に伸びるので、最初にゆるいと感じるものを選ぶと、あとで足が中で泳ぎます。伸びしろはブランドで差があり、いちばん動くのがミネトンカ。Sperryは素足前提の設計なので靴下を履くなら小さめを検討する。Eastlandは靴下前提で、いつものサイズから始めて構いません。
次に底の作り。柔らかい革底とゴム底では履ける場面がまったく違います。革底を雨の日に履くと滑りますし、傷みも早い。外で日常的に履くならゴム底のほうが結果的に長持ちします。
そして手入れ。柔らかい革なので乾燥するとひび割れます。特に甲のU字の縫い目のまわりは革が引っ張られて負担が集中する場所で、ここが割れると修理が難しい。月に一度クリームを薄く入れるだけでかなり違います。
最後にひとつ。この記事を読んだあと、手持ちの靴のつま先を見てみてください。ローファーにも、デッキシューズにも、あのU字の縫い目が走っているはずです。北米の先住民が一枚の革で足を包んだ作りが、形を変えて自分の靴箱にも入っている。そう思うと、履くたびに少し景色が変わります。














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